hateyasco’s diary

すべてはyascoが思うままに。

それはそれで幸せであること

今日は未熟児の話をした。

突然すみません。

yascoのではないが

知り合いに、未熟児の母がいらっしゃる。

600グラムほどの子が

この世に生を受けて、生きている。

今は、まだ、

母と父とおばばさまを

頼ることしかできない子がいる


すごく、

たいへんそう。

すごく、

辛いらしい。

おばばさまはもう80近く

初孫で

未熟児のお世話は気持ちも休まらないかもしれない。

通常の生まれかたをしても

赤ちゃんの世話は尋常でない大変さ。

yascoは子供がいませんが

そんなの、

自分の世話だって大変なのに

世の中の母達が(主にね)どんだけ大変かって

想像するまでもない。

なのに、未熟児。

心労もプラスしてくるだろう。


しかし、

ちょっとネットで調べると

500グラム代で生まれた子だって

普通に大きくなってるって

先輩ママさん達が

ブログを書いていたりして

人にも依るだろうけれど

絶望だけじゃないんだって

すごく感じた。

物事の二面性って

時にすごく残酷だけど

人には脳みそがあって

その脳みそが私たちに選択肢を与えてくれる。

考えて、変わっていくか

変わらずに悲しみ続けるか

どちらかを選べるように

脳みそが、頭に格納されている。

人間の、人生の、なぞなぞは

たぶん死ぬまで続く。

答えは

死んだら出るけど

死んだらもう何もわからないから

答えはきっと、わからない(笑)

なんてこった。



話がそれました…



私は思う。第三者でごめんなさい。

だけどその子に会えた幸せ

忘れないでほしい。

誰にも会えずに死んでいく人もいるの。

私がそれ。

その子に会えて、苦しめる喜びを

噛み締めるために

その子は生まれてきてくれたんじゃないかって

思うの。


本当に、第三者でごめんなさい。

何もできないけれど

どんな人生が待ってるんだろって

お子さんいたら

楽しみだなって思えるような

脳みそをもった人に

すべての親に、

そうなってほしい。

本当に、第三者でごめんなさい。

私は子供いないけれど

子供いる人の幸せがわかるから

それはそれで

幸せっす。