hateyasco’s diary

すべてはyascoが思うままに。

頼りになるか、ならないか。

ほうら!

と、お金を投げられたら

ワタワタ追いかけちゃいそうです。

意味不明ですね。

yascoです。

なんか、

人間は、しっかりする人しない人。

いろいろいます。

自分はどっちでしょう。


自分を軸にいきる人は

ぶれないかもしれません。

軸ってなんでしょう?

どうやったらできるんだろ。

なんて

考えてるうちに

人生ずいぶん来てしまった。


ふふふ。

ちょっと、考えてみた。



自分を頼りにいきること。

そういうことかもしれない。


いつも、

「誰かがやってくれるかも。」

「誰かの意見にしたがっておこう」

「誰かがいっているから」

誰かの何かに

自分の気持ちを任せてきた、

そんなとこあるような気がします。

ある程度はきっと、それでもいいんだろうな。


けど、

例えば、「自分の子供の将来」

とか

「自分の生活」

を、

ひとりで、(ご夫婦なら、二人で?)

考えて暮らしているなら

自然に

自分の軸で生きていかざるを得ないのかなと

思うのですが、

実家にすんでいて、

かつ、

小さい頃と変わらない

家族構成で生活してると

自分の軸を育てるタイミングが

少し減るような気がしなくもありません。


家族関係などにもよるかも。

お母さんが世話好きで

何でも間でもやってくれる上に

自分に来た質問にも答えてくれてしまったり(!)



そうするとやっぱり

少しずつ、

「軸を持つ必要がなくなって」しまったり

するかもしれない。


と、

ランチタイム。

話題にしてる人がいて

共感したのでした。


子供が親を育てるというのは

「子供という、唯一無二の存在から出される無理難題に答える」

という

人生に一度しかできないクイズ問題に

回答していくようなもんなのではないかと。


そして

それを通過して、経験するすべてのことが

大人になる

あるひとつの要因であったりするかなって

思いました。


もちろん、

子供がいなくても

きちんと軸を持てるような経験や考え方が

それぞれの人たちを

育てると思うのですが。