hateyasco’s diary

人生の曲がり角は曲がれなかったyascoが新しいドアを開けるためのブログです。

ちょっとした工夫。

今日はドトール

ちょっとした工夫を見た。

たぶんこれをやった本人は

これが工夫とも思ってないんだろうな。

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あのですね。

なんの変哲もない

半分にカットされたドックですが。

この。

角度!!!

結構、鋭角にカットされてる。

これがまあ。

何となく食べやすい。

口に入れた瞬間に、大袈裟にも

「!」

と、なったのでした。

細かいなー

自分😵💦

それはそれで幸せであること

今日は未熟児の話をした。

突然すみません。

yascoのではないが

知り合いに、未熟児の母がいらっしゃる。

600グラムほどの子が

この世に生を受けて、生きている。

今は、まだ、

母と父とおばばさまを

頼ることしかできない子がいる


すごく、

たいへんそう。

すごく、

辛いらしい。

おばばさまはもう80近く

初孫で

未熟児のお世話は気持ちも休まらないかもしれない。

通常の生まれかたをしても

赤ちゃんの世話は尋常でない大変さ。

yascoは子供がいませんが

そんなの、

自分の世話だって大変なのに

世の中の母達が(主にね)どんだけ大変かって

想像するまでもない。

なのに、未熟児。

心労もプラスしてくるだろう。


しかし、

ちょっとネットで調べると

500グラム代で生まれた子だって

普通に大きくなってるって

先輩ママさん達が

ブログを書いていたりして

人にも依るだろうけれど

絶望だけじゃないんだって

すごく感じた。

物事の二面性って

時にすごく残酷だけど

人には脳みそがあって

その脳みそが私たちに選択肢を与えてくれる。

考えて、変わっていくか

変わらずに悲しみ続けるか

どちらかを選べるように

脳みそが、頭に格納されている。

人間の、人生の、なぞなぞは

たぶん死ぬまで続く。

答えは

死んだら出るけど

死んだらもう何もわからないから

答えはきっと、わからない(笑)

なんてこった。



話がそれました…



私は思う。第三者でごめんなさい。

だけどその子に会えた幸せ

忘れないでほしい。

誰にも会えずに死んでいく人もいるの。

私がそれ。

その子に会えて、苦しめる喜びを

噛み締めるために

その子は生まれてきてくれたんじゃないかって

思うの。


本当に、第三者でごめんなさい。

何もできないけれど

どんな人生が待ってるんだろって

お子さんいたら

楽しみだなって思えるような

脳みそをもった人に

すべての親に、

そうなってほしい。

本当に、第三者でごめんなさい。

私は子供いないけれど

子供いる人の幸せがわかるから

それはそれで

幸せっす。

頼りになるか、ならないか。

ほうら!

と、お金を投げられたら

ワタワタ追いかけちゃいそうです。

意味不明ですね。

yascoです。

なんか、

人間は、しっかりする人しない人。

いろいろいます。

自分はどっちでしょう。


自分を軸にいきる人は

ぶれないかもしれません。

軸ってなんでしょう?

どうやったらできるんだろ。

なんて

考えてるうちに

人生ずいぶん来てしまった。


ふふふ。

ちょっと、考えてみた。



自分を頼りにいきること。

そういうことかもしれない。


いつも、

「誰かがやってくれるかも。」

「誰かの意見にしたがっておこう」

「誰かがいっているから」

誰かの何かに

自分の気持ちを任せてきた、

そんなとこあるような気がします。

ある程度はきっと、それでもいいんだろうな。


けど、

例えば、「自分の子供の将来」

とか

「自分の生活」

を、

ひとりで、(ご夫婦なら、二人で?)

考えて暮らしているなら

自然に

自分の軸で生きていかざるを得ないのかなと

思うのですが、

実家にすんでいて、

かつ、

小さい頃と変わらない

家族構成で生活してると

自分の軸を育てるタイミングが

少し減るような気がしなくもありません。


家族関係などにもよるかも。

お母さんが世話好きで

何でも間でもやってくれる上に

自分に来た質問にも答えてくれてしまったり(!)



そうするとやっぱり

少しずつ、

「軸を持つ必要がなくなって」しまったり

するかもしれない。


と、

ランチタイム。

話題にしてる人がいて

共感したのでした。


子供が親を育てるというのは

「子供という、唯一無二の存在から出される無理難題に答える」

という

人生に一度しかできないクイズ問題に

回答していくようなもんなのではないかと。


そして

それを通過して、経験するすべてのことが

大人になる

あるひとつの要因であったりするかなって

思いました。


もちろん、

子供がいなくても

きちんと軸を持てるような経験や考え方が

それぞれの人たちを

育てると思うのですが。

自分を信じないで、自分を信じる

なんというか、

矛盾の一言です。

yascoです。

自分を信じるということが、

出来ないときがあります。

やってもやっても結果がでない。

心を込めてるのにわかってもらえない。

誤解、粗雑な扱われ方、いじめられたり。

そんなとき

自分を信じることが

難しくなるときがあります。

「あんなにやってきたのに、いい結果に繋がらない。やっても無駄なんだ!自分なんて信じられない!」

と、

なるときがあります。



これは、

ある程度仕方ないことなんですが、

でも、

とても、もったいない状況とも言えます。



「成功する人は、成功するまでやる人」


という言葉を

割りとよく聞きます。

深いなって

思います。

なかなか、「自分なんて!」

という、状況を

打開するのは時間が必要に思えますが

気持ちの持ちようでもあります。

もしも、


こんな気持ちになっていたら…

そんなときは、

「まだまだあ!!!」

「なんのそのー!」

と、

こ、心の中で、

呟いてみましょう。

確かに

辛い。

確かに、

かなしい。

さまざまな状況はあると思います。

そして、

これはまた逆説的な感じなんですが

「信じすぎて怠ける」

信じる、という行動には、

こんな副作用もあったりしますので、

今回のタイトルのような言葉を

はてなにメモっとこうと思ったわけなのでした。

ま、結局は、

信じる、そのことは、

生きていく上で

とても大切なことではあるのでした。

適度に忙しいこと

人間て

不思議。

忙しいと、それはそれで辛いんだけど

ヒマヒマに暇だと

それはそれで辛い。


適度に忙しく

適度に休憩の時間がとれること

これがとても大事なのですね。

ここのところまた

体調が悪かったから

早めに眠ったら

(といってもいつもより二時間ほどだけど)

早く寝たら、それはそれで眠いという。

たまのことですから。

そんなこともあるだろうけど。


やはり、

適度なのがよろしいですな。

ニュース…

どうしてずっと同じ映像を流し

同じニュースを報道し続けるんだろう。

進捗があれば話は別な気もします。

なんてな。

実際ニュース報道の現場にいるわけではないから

わかるはずもないのであります。

私が知りたかった数日前のニュースは

ヤマハ著作権に関するニュース。

あれの話など

もうどこでもしてないもん。@TV


それにしても。

イタリアのサッカー観戦中の

爆竹からのパニックのニュース

怖いですね。

群衆心理。

人生は自己責任

自分のしたこと

やってきたこと

これまでのことも

すべて過ぎたこと。

覆水は盆に返らない

すべて自分がやったこと。


誰かに促されたときもあるかもしれない

けど、

それでさえ、

自己責任なわけで。

(最後は自分が行動しているから。)

生きている限り、

自己責任。

ブラックorグレイッシュホワイト

辛い真っ只中にいます。

でも、今は抜けられないだろう。

仕事は楽しいのです。

やりたい仕事でもあった。

けど、



ギリギリブラック認定降りないくらいの。

退職金もない。

そんな感じです。

たぶん経営してる本人は

それがブラックよりなことを

知ってるのかなんなのか

福利厚生は社保と有給休暇。

ボーナスは偉い人だけ出るそうです。

そのうえ、

今の会社、

えこひいきがすごくて

気に入られないと

全然お給料が上がらない

恐ろしいシステムが働いています。


お気に入り=仕事ができる

というわけではないので

今は

会社の業績は下がりつつあるそうです。

私たちの部署は

そこそこ早めに帰りますが

営業よりの部署の人たちは

ほとんど早くは帰れません。


その部署にいるわけではないから

効率の悪い仕事をしてるのか、

そういう風潮なのか。

わかりませんが。


そんな、

知っちゃかめっちゃかな会社でも

会社なんだなと。

「会社ごっこ」みたいな会社です。

でも、

上層部は、仕事してる感がすごい。

下はみんな若くて、新卒沢山とっています。

新卒、

一年研修して、

会社の概要だけ教わって

OJTろくにされないまま

「こんなもんか?」

と思っているまま、二年目で先輩になります。

恐ろしすぎる。


こんな会社、許されてることが意味不明。


まあ、

それでも。

雨宿りさせてもらえるだけましなのか?!

曲がり角を曲がれなかった

わたし、

曲がり角を曲がれませんでした。

これから

いばらのみちを歩くんだと思う。

でもまだ、

何かやれることがある。

まだ、

生きてるし。


何かやって、それで何があるかを

見ればいいんだと思う。


みんな努力して、

あるいは自然に

自分の道へ入り、

そして今がある。


今私は少し辛い。

これからの、年取った自分のことを思うと。

でもまだ、

まだ。

時間はあまりない。

悩みを力に変えていくのがいい。

辛いけど

生きてるし。

人は辛いだけでは死なない

死なないけど、
けっこう辛いのが続くのは
辛いです。

当たり前のこと書いてるけど
しかたないです。
はー。。。